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月次祭 毎月1日・15日13時から13時30分 *参列は自由です。是非ご参加ください。
御祭神
摂社
新編武蔵風土記稿 新作村

参考資料 『新編武蔵風土記稿』巻之六十四・橘樹郡之七・稲毛領より(抜粋・訳)

o新作村 新作村は郡の北にある。『小田原家人所領帳』に「小机の内」とある。また国領氏の伝えは、この村を「稲毛庄」と記す。その稲毛に属した年代ははっきりしない。今は稲毛領である。後に領名が起ったため庄名が廃止されたのであろう。

江戸の日本橋からの距離は約五里ほど〔約二十キロ〕である。家数は五十四軒。村の中央にある山の麓に暮す。(村の)境は、東は新城村に接し、東南〔巽〕は清沢村で、南は上・下野川村に接する。西には梶ヶ谷村があり、北は末長村が境となり、東西が十八町余り〔一九六二メートルくらい〕、南北は四町〔四三六メートル〕ほどで、その内、東の方は平坦な田〔平田〕で、西から南へは丘である。水・陸田を比べると、新たに開墾した畑〔陸田〕の方が少ない。

土の性質は野土である。粘土が混っている。山は野土と赤土である。「永禄〔一五五八〜一五六九年〕ごろは後藤惣次郎が治める土地で十五貫六百三十七文」と北條の『役帳』に見える。御入国の後は、暫く江戸幕府直轄地〔御料所〕であったが、寛永四年〔一六二九〕、(幕府が)村内(の土地)を割いて増上寺に賜り、あの寺の隠居料〔隠居扶持・隠居後の生活費〕及び台所料〔生活費〕となった。

また、そのころのことであろうか、国領七郎右衞門吉次・門奈又左衞門某の二人に(土地を)賜ってから今に至るまで、その子孫の国領又兵衞・門奈伝十郎二名の旗本領地〔知行所〕である。測量〔検地〕結果については詳細は解らない。今は元禄七年〔一六九四〕に小領主〔地頭〕が改めた『水帳』を用いているという。 

o高札場〔二か所ある。一つは村の中央。これは増上寺が建てたもの。いま一つは北の字間際根にある。これは小領主〔地頭〕二人が(立てた)高札である。〕 

o小名 間際根〔村の中央にある〕・池の谷〔西の溜井のあたりにある〕・神明谷〔北西にある〕・仏手台〔中央の八幡山の側をいう〕・田畑上〔村の南である〕 

o岩穴〔字間際根のあたりにある山の下にある。その数は九つあ。土地の人はこれを洞穴だという。入口はやっと這って入るほどだが、中は五、六畳も(畳を)敷くほど(の広さ)である。その中に〈三階洞〉と呼ぶものがある。三つ重なった穴で、広さは各々(畳)十畳を敷くほどである。このほか二つ続いたものもある。土地の言い伝えに「古代の住居の跡である」という。これも前の岩川村の穴などと同じく、兵乱の時に穀物などを蓄えた所であるのに違いない。〕 

o川崎用水〔多摩川の分水である。隣村の久永村から流れ来て村内に注ぐ。〕 

o溜井〔小名池の谷にある。一段(約九九一・七平方メートル)ほどの池である。今は用水にも用いないという。〕

o八幡社 字仏手台にある。境内地は全て丘の上にある。鎮座の年代を伝えない。村の鎮守である。社の前には石段が九十四あって階段の下には石の鳥居が立つ。例祭は六月十九日と十月十五日の二日である。村内の養福寺が管理する。

o末社三峯社 本社に向って左にある。 

o牛頭天王社 これも同じ。 

o飯綱社 中央から北の、仏手台の続きである丘にある。小祠で覆屋を設けてある。側に大・小天狗の像二体を安置してある。この社は勧請の年代を伝えない。 

o熊野三社 飯綱権現の除地の内にある。養福寺が管理する。

o神明社 村の西にある。小祠で東向きである。養福寺が管理する。例祭は九月十六日で、この日は村民が寄り集い飯を多く炊き、互に強いて食べさせる。日光山の〈強飯式〉の類に違いない。

原文 『新編武蔵風土記稿』巻之六十四・橘樹郡之七・稲毛領より

原文 『新編武蔵風土記稿』巻之六十四・橘樹郡之七・稲毛領より o新作村 新作村は郡の北の方にあり、『小田原家人所領帳』に「小机の内」とあり、又国領氏の伝によれば、この村を「稲毛庄」としるせり、その稲毛に属せし年代は詳ならず、今は稲毛領なり、されば後に領名起りてより庄名は廃せしなるべし、江戸日本橋より行程五里余なり、家数五十四軒、村の中央なる山の根に住す、四境、東の方新城村に隣り、巽は清沢村にて、南は上下野川村に接す、西には梶ヶ谷村あり、北は末長村にさかへり、東西十八町余、南北四町許、其の内、東の方は平田にして、西より南へ山なり、水陸の田、相比すれば陸田の方少し、土性は野土、へな錯はれり、山は野土・赤土なり、「永禄の頃は後藤惣次郎が知行、十五貫六百三十七文」と北條の『役帳』に見ゆ、御入国の後は、しばらく御料所なりしが、寛永四年、村内をさきて増上寺に賜はり、彼寺の隠居料及び台所料となる、又その頃のことにや、国領七郎右衞門□次・門奈又左衞門某、二人に賜りてより、今にその子孫国領又兵衞・門奈伝十郎、二人の知行所なり、検地のこと、さだかならず、今は元禄七年に地頭よりあらためし「水帳」を用ゆと云ふ、

o高札場〔二ヶ所あり、一は村の中央にあり、これ増上寺より建る所なり、一は中央より北方、字間際根にあり、これ地頭二人よりの高札なり、〕

o小名  間際根〔村の中央なり〕・池の谷〔西の方溜井の辺なり〕・神明谷〔乾の方なり〕・仏手台〔注中央八幡山の側を云ふ〕・田畑上〔村の南の方なり〕

o岩穴〔字間際根の辺なる山の下にあり、その数九あり、土人はこれをほら穴と称す、口はわづかに匍匐して入るべきほどなれども、内は五六畳もしくほどなり、其の内に三階洞と唱ふるものあり、三つかさなりたる穴にて、広さ各々十畳をしくほどなり、此の外、二つつゞきたるものもあり、土俗に「古へ穴居の時の跡なり」と云ふ、是も前の岩川村の穴なぞとおなじく、兵乱のとき穀などを蓄へし所なるべし〕 

o川崎用水〔多摩川分水なり、隣村久永村より流れ来りて村内にそゝぐ、〕 o溜井〔小名池の谷にあり、一段許の池なり、今は用水にも用ひずと云ふ〕

o八幡社 字仏手台にあり、社地全て丘の上なり、鎮座の年代を伝へず、村の鎮守なり、社前に石階九十四級ありて、下に石の鳥居を立つ、例祭は六月十九日・十月十五日の二日なり、村内養福寺の持、

o末社三峯社 本社に向ひて左にあり、

o牛頭天王社 これもおなじ、

o飯綱社 中央より北の方、仏手台のつゞきなる丘にあり、小祠にて覆屋を設く、側に大小天狗の像二体を安ず、此の社、勧請の年代を伝へず、

o熊野三社 飯綱権現除地の内にあり、神体は三躯ともに木の立像にて長一尺一寸許、養福寺持、  o神明社 村の西にあり、小祠にて東向なり、養福寺持、例祭は九月十六日にて、此の日、村民寄りつどひて飯を多くかしき、互に強いてはましむ、是れ日光山の強飯などの類なるべし、

*当宮は明治の神仏判然令により養福寺から離れています。

*現在の例祭日は右とは異ります。

氏子区域
新作1丁目・2丁目・3丁目・4丁目・5丁目・6丁目ほか
住所
〒213−0014
川崎市高津区新作3-6-1
044−865−8503

交通案内
JRまたは東急「溝の口」駅南口より東急バス井田営業所行きにて「新作」下車徒歩8分
東急「梶が谷」駅より東急バス井田営業所行きにて「市民プラザ」下車徒歩5分


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